Past Activities
過去から現在(2019年あたり迄)に向かって、大まかな記憶が記述されている。
全てを記述するととんでもない量になる為、あくまでも『大まかな』である。
Game Music
1991 - 1995
8歳の時に見た『Sony Music TV』の影響で、旋律がハッキリとした曲を好むようになった。日本の歌謡曲よりは、『Cyndi Lauper』の『Girls Just Want to Have Fun』や『Culture Club』の『Karma Chameleon』を好んで聞いていた。その一方、旋律がハッキリとした曲ということで、Dragon Questのオーケストラ版等も好んで聞くようになり、中学生の頃には、自作RPG(Estfania Chronicle)のBGMを自身で作る様になった。
© United Sweet Soul / Jazzie Jam. All Rights Reserved.
After "IKATEN"
1991 - 1995
バンドブームを巻き起こした『イカ天』の後、「バンド組みたいから曲作ってくれ」的な確実性の無い話が蔓延していた。
Game Musicよりは華やかだった為、『Take It EZ』のほか何曲か作成したが、アウトプットを出せる人間が少なかった為、基本的には曲を作っただけに留まる。
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※音源を限定公開
4つ打ちTechno時代
1996 - 1997
FMラジオで『電気グルーヴ』の『ドリルキングアワー』を聞き、4つ打ちのTechnoに目覚めた時期がある。
Roland社のシンセサイザー『JP-8000』を購入し音作りを開始。『Eclair Bride』の『♪The Whimsical of Love』のメロとコードは、この頃に作成したPre-proが元である。『Eclair Bride』については、「自作自演でしょ」という話もあるが、No commentである。
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Before "Jazzie Jam"
1998 - 1999
Jazzie Jamを名乗る前に『Ballad Soul計画』への布石となる実験的な歌物のトラックを作成していた時期ある。
「宇多田ヒカルやMISIAが出てきたから、皆Soulの歌い回しが出来るのだろう」と甘い考えをしていたが、この後数年間、その考えが実際に甘かった事を思い知る事になる…
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Ballad Soul計画
2000 - 2007
InstrumentではなくVocalを含めて構成された最初のPJT『Ballad Soul [バラッド・ソウル]』。
本当に様々なSingerが参加したが、最終的にリリースには至らず。MonicaやLauryn Hillの様な歌い回しを国内に求める事が如何にナンセンスであるかを理解しつつ、夢は諦めきれなかった20代であった。
楽曲「♪Want to See You(Music:Jazzie Jam)」は、2001年に当時24歳の日本人と台湾人のMIXの女性Singerが歌った。
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挫折期~学習期
2003 - 2011
義務教育以外での音楽の学習を行わずに作曲を行ってきた状態に限界を感じていた時期で、Bassを皮切りに、音楽理論、Jazz Piano、ボイトレ、Wood Bassを習い始めた。
中でも、『楽曲の肝となるBass』と『コードとコード進行で重要なJazz Piano(師はJazz Pianistの清水朋子 氏)』は比較的長い期間習い続けた。ボイトレは仕事上Vocalとのコミュニケーションの為に基礎知識を習った。Wood Bassは講師の方から「何か擦弦楽器やってたんですか?」と褒められていたが、楽器と周辺機器の費用がかさむ為、非常に迷ったがひと月でやめてしまった。
アロエスミス
2004
某楽器店の音楽スクールでBassを習いに行っていた時に、スクール内の発表会用に結成されたバンド。
当時、VoとGtは自身Bsは同じ世代で26~27歳であったが、Keyが50代、Drは14歳という、3世代バンドのような構成であった。
発表曲は『Aerosmith』の『♪I don't want to miss a thing』で、生徒が構成するバンドの中では、トリを務めた(スクール内で比較的うまい人間?を集めたらしい)。バンドを組んだのは、生まれてこの方、最初で最後であった。自分の人生の中では非常に貴重な経験である。
Orka
2006 - 2007
沖縄出身の報道レポーターSinger。
某中央放送局の昼間の番組でレポーターも熟していた。楽曲『♪愛されてみたい(Music:Jazzie Jam)』を最後に故郷で報道を行う為、PJTは終了する。
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Yu*i Rhod*s
2013 - 2014
日本出身の平成生まれSoulシンガーYu*i Rhod*s。
想像力のあるSoulfulな歌い回しで、『United Sweet Soul』の黄金期の始まりを予感させた。2014/09/30にレーベルを卒業する。楽曲は『♪Issyo ni Aruite(Music&Lyrics:Jazzie Jam)』。
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PJT of USAGI
2015 - 2019
謎のキャラクター「うさぎ大臣」の謎のテーマソングの為に結成された。
歌を声優の『栗田エリナ』氏が担当し、自身は別名義の『Usagijam/Jazzfood』で音楽と歌詞を担当した。リリース面で大人の事情で頓挫し、間もなく1代目Vocal『栗田エリナ』氏が卒業する。その後、次のVocalが決まらなかった為、PJTは惜しくも終了している。
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